カリモク特約店エーアイディーから 大阪府高槻市便りⅤ
みなさん、こんにちは。カリモク特約店エーアイディーの村田です。
これで5週連続の大阪府高槻市シリーズ、今回が最終回です。私の住んでいる街のお話です。
前回に引き続き、高槻の歴史についてです。前回は古墳時代のお話しでした。今回はもっと過去へ、弥生時代までタイムスリップします。
家から車で6分のところに公園があります。
安満(あま)遺跡公園です。
こちらが公園全体です。画像の左、赤い「現在地」から右方向を撮影したのもです。
もう少し引きの案内図がありました。
この公園を遠くから撮影したらこう見えます。上の案内図の上部にある名神高速道路の上にある山からの撮影です。
見えます?左の濃い緑の木々の上です。
公園にズームイン!
かなり広い面積です。甲子園球場5個分らしいです。
実は、この公園の前身は「京大の農場」でした。高槻市民には「京大農園」と呼ばれ親しまれていました。その農場の下に弥生時代の遺跡が眠っていたのです。
京都府木津川への農場移転に伴い、跡地を公園として再開発したのです。農場があったからこそ、駅近のこの土地が宅地になる事なく現代まで残り、安満遺跡公園になるとは、歴史はおもしろいものです。
早速公園の中をご紹介いたします。
左奥に見えるのが「パークセンター」です。
人工芝が貼ってあります。
ボーネルンドの施設が入っています。
屋根もあり雨の日でも遊ぶことができます。
パークセンターの中に空撮の公園全体看板がありました。
左の白い大きな屋根が「パークセンター」です。
この地に弥生時代の集落があったようです。
大きく分けて
1.「居住域」・・・空撮画像真ん中の円になっているところに住んでいたようです。円にみえるものは「環濠」と呼ばれる水堀跡です。
2.「生産域」・・・水田です。画像の右下の部分です。
3.「墓域」・・・お墓です。画像の右上の住宅地との切れ目辺りです。
いわゆる弥生集落のスタンダードともいえる遺跡です。
集落の3つの要素の範囲や時期が分かっていて、史跡として保存されているのは全国でもここだけです。
さらに公園内を進みます。
居住区に着きました。
奥に見えるのは昭和初期に建築された京大農場の建物群です。白壁と赤い屋根が印象的です。現在はレストランや体験館などにリノベーションされて活躍しています。
環濠跡には白石を敷き詰めています。
辺りは芝生ではありません。弥生時代の草原を再現しているようです。
「居住域」をでると、水田跡があります。
水田跡の中を見ると、
当時、住んでた人の足跡が!!
芸が細かいです。
さらに進みます。
赤茶色の遊歩道です。市民がそれぞれのペースで回っています。
横をみると、
阪急電車です。車体の色とよく似ていてマッチしています。
さらに進むと、
子供用の遊具があり、
その正面には、
スタバがあります。
さらに進むと、
何もない、広い公園です。
このブログの最初の方でご紹介した画像は、上の画像の奥に見える山の中腹から撮影したものです。
これです。
さらに進むと、
スタート地点があり、
大きな壺あり、
「墓域」に到着しました。四角い墓です。
先週のブログでは大きな前方後円墳「今城塚古墳」をご紹介しました。弥生時代に稲作が伝わり、米を備蓄できるようになったことから争いが生まれ、「ムラ」や「クニ」ができ、豪族と呼ばれる権力者ができ、墓は大きくなっていったようです。
お墓から見た公園です。公園の一番奥になります。
ここから折り返しです。
市民ランナーも多いです。
こちら側にはJRが走っています。
ちょっとここで休憩です。
ベンチも点在しています。
トイレです。
よく見ると、
ゴミ箱が茶色です。
さらに、
自販機のボディーが茶色です。
加えて、
配電盤らしきものも茶色です。
極めつけは、
注意喚起のパイロンも茶色です。
園内のカラーが統一されています。余分な色がない。
以前、デザイナー「芦沢啓治」氏のトークショーで聞いた言葉、
「ノイズが少ない」
を思い出しました。
その時の内容は、「インテリアにおいて、建具と家具の色調を合わせることで、インテリアのノイズが少なくなり、落ち着いた空間をつくることができる」ということでした。
まさに、「安満遺跡公園」内にはノイズが少ないと言えるでしょう。
お時間ある方は「このブログ」の画像を最初から見直してみてください。本当に「ノイズ」が少ないです。
だから「いい感じ」なんですね。
これで5回にわたる「高槻シリーズ」を終わります。
高槻市は「カリモク茨木アウトレット」の近くです。
カリモク家具茨木アウトレットにお越しの際は、
高槻市にも足を延ばしてはいかがですか?
村田がおすすめいたします。