ほぼ毎日ブログ。。。バスケットボール誕生 – カリモクグループ エーアイディー

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公開日:2017/07/17 最終更新日:2017/07/17

ほぼ毎日ブログ。。。バスケットボール誕生

こんにちは!

カリモク特約店

エーアイディーの村田です。

インテリアのこと、

インテリア以外のこと、

日々感じたことを肩の力を抜いて

綴っていこうと思います。

 

画像は、

ジェームズ・ネイスミス氏、

 

1891年、

彼がバスケットボールが考案しました。

 

当時彼は、アメリカ、

マサチューセッツ州にある、

YMCAトレーニングスクールの

体育部教官でした。

 

ちなみに、

マサチューセッツ州はアメリカのここです。

 

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右上の赤いところです。

かなり北です。

冬は雪が積もります。

 

そんな環境のところで

体育教官をしていたネイスミス氏は、

屋外でスポーツが出来なくなる冬場には、

室内で体操中心の授業をせざるを得ませんでした。

 

 

そして、

その授業に多くの生徒が不満を持っていることを

問題に感じていました。

 

要するに、

楽しくなかったんですね。

生徒にとっては。

 

夏場、屋外でする

アメフトやサッカー、ラクロスと比べると・・・

その気持ち、分かります。

 

そこで、

ネイスミス氏は考案したのです。

バスケットボールというスポーツを!

 

ここで、

バスケットボールの画期的なところは、

ゴールが水平で高いところにあることです。

 

b4

こちらが当時のゴールです。

たまたまあった、

桃を入れる籠(かご)です。

 

それをこんな風に設置したようです。

 

b5

その時の籠の高さが、

10フィート (3m05cm)。

その高さは今でも変わっておりません。

 

その「籠」を使ったため、

「バスケットボール」と名づけられました。

 

ちなみに、

日本語でバスケットボールのことを

「籠球(ろうきゅう)」と書きます。

街で「籠球部」と書かれたジャージを着た若者は、

バスケットボール部です。

 

当時はバックボードも無く、

籠には底があったので、

ゴールに入ったら

ハシゴや棒で取り出していたようです。

 

で、

現在のゴールはこんな感じです。

 

b15

観客席から手で妨害することが頻発したために、

遮蔽物としてバックボードが設けられるようになったんです。

 

ところが、

観客から見えないことになったので、

現在では透明のボードになりました。

 

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ねっ、

透明でしょ!

 

学生時代、バスケットボール部だった私には

透明ボードは憧れでした。

 

だって、

学校のボードは小中高と木製ボード。

 

b15

大会で勝ち上がっていかないと、

透明ボードの体育館で試合が出来ません。

 

また、

マニアックな話、

木製ボードと透明ボードの摩擦係数が異なるんです。

 

簡単にいうと、

木製はスベル。

透明はスベラナイ。

 

日頃、木製ボードでしか練習していないチームは、

透明ボードでプレイすること自体が、

「非日常」。

 

平常心で戦えるわけがありません。。。

 

 

おっと、

話がだんだん逸れてしまいました。

バスケの話だと熱くなってしまいます。

 

バスケットボール誕生から、

はや120年余り。

 

今でも私は、

週一回、

近くの中学校体育館で

バスケをプレイしています。

 

そこには、

3世代で来ているメンバーもいます。

「おじいちゃん」

「その息子」

「そして孫」

 

 

みんなバスケを通じて、

人生を豊かに感じています。

 

ネイスミス氏に感謝です。

 

そして、世界のバスケを盛り上げてくれる

FIBAに感謝です。