名古屋市の「揚輝荘」
こんにちは。カリモク特約店エーアイディー刈谷オフィスの小島です。
今回は、名古屋市の覚王山の丘陵地に築かれた『揚輝荘』をご紹介いたします。
名古屋市の中心を東西に走る道路「広小路通(ひろこうじどおり)」。その「広小路通」上にある名古屋駅と高速名古屋インターとの中間ぐらいに「覚王山(かくおうざん)」があります。
日本で唯一、市街地でお釈迦様の遺骨を安置するお寺「日泰寺」を中心に独特な雰囲気のある街です。
その中に松坂屋百貨店初代社長、15代伊藤次郎左衛門祐民氏が、大正から昭和初期にかけて築いた別邸の代表作が「揚輝荘」だそうです。
現在は北園、南園と別れておりますが、南園の聴松閣は見どころ満載です。
ハーフティンバーの外壁など山荘風の外観をした迎賓館は、ぱっと見ジブリのアニメの様な外観です。
1Fでは展示室(旧居間)にて揚輝荘・伊藤次郎左衛門祐民氏の説明ビデオが流れております。
下の画像は旧食堂です。山荘風のインテリアで、『いとう』の透かし彫りに目が行きます。
細工された木製の手すりを眺めながら2Fに行くと、イギリス山荘風の応接室があります。
旧書斎にはライフル銃を収納しておく棚が置かれておりました。
旧寝室には中国様式が施されていました。
地階は壁にインドの石窟を模したとされる壁画があり、その先に舞踏場がありました。聴松閣はとにかく、建物の各階で見る各国様式のミックスが楽しいです。
南園から北園への連絡通路には、伊藤銀行の壁面を飾っていた石のレリーフが横たわってます。
連絡通路を通じて北庭園に向かいます。
こちらは、尾張徳川家ゆかりの座敷に洋室を加えた伴華楼(ばんがろう)です。
下の画像は、修学院離宮の千歳橋を模したとされる白雲橋(はくうんきょう)です。
下の画像は、大正7年に伊藤家本家から移築された三賞亭(さんしょうてい)です。こちらは和・東洋の空間。秋の広葉時期もみたいですね。
他に北園内には豊彦稲荷が有り、縁結び、商売繫盛の昇がございました。早速お賽銭を納め、日頃の感謝をさせていただきました。
最後に、三賞亭から池に映った日泰寺五重塔です。見えますか?
揚輝荘・・・2013年に聴松閣の修復工事が完了して公開されるようになって10年になります。
各界の要人や文化人が往来する華やいだ社交場の役目を果たしました。そればかりか、アジアの留学生が寄宿する場ともなったようです。伊藤次郎左衛門祐民氏は国際交流にも貢献されたようです。
名古屋で初となるデパートメントストア形式の店舗を開店し、日本実業家渡米団に参加するなどし、名古屋の発展に努め、経済界を引っ張ってきた偉人の歴史に触れられて、いつもと違う休日の一時を過ごしました。